<第1回研修会 2004.5.8>


支援費制度が導入された昨年度、サービスの質が問われ、
求められるようになりました。

それは地域や福祉施設に限られたことではなく、
各種の障害者スポーツ大会に参加し協力している
私たちスポーツ指導員に対しても問われ、
求められるものであると思います。

昨年度は「私たちの支援を考える」ということを
統一したテーマに決め研修会を開催しました。
それぞれが自分自身の支援を見つめ直すことができ、
今年度の活動につながる研修会になったと思います。

今年度、第1回の研修では「私たちは望む こんな支援・こんな支援者 〜生活があり、スポーツがある〜」というテーマで、
実際に当事者の方、ご家族の方がスポーツ活動をどのようにお考えになり、スポーツ活動をどのようにしたいかというお話を聞きました。

「それぞれの人に適した楽しいスポーツ活動を模索する
一つの機会としたい」

そんな目的で今回の研修会を企画しました。

みんなで一緒に考えましょう。

  研修委員 榊原

 
第1回研修会 私たちは望む こんな支援・こんな支援者

お話しいただいたみなさん

お話ししていただくみなさんは日頃特別なスポーツをしている方々ではありません。
本当に私たちの隣に住んでいらっしゃるご近所さんです。
新井温子さん お子さんは今年、地元の中学に進級された
中学1年の男の子
学校内での移動は車いす(屋外)と歩行器を使用
お母さんが主たる支援者だった低学年、
スクールボランティアさんとともに過ごした高学年、
小学校時代の話しを交え、これからのこと、
スポーツのことなどをお話ししていただきます。
川合由記さん お子さんは現在養護学校に通う
小学3年生の男の子
周囲から理解されにくいといわれる障害、自閉症。
そのお子さんとともに歩まれてきたこと、現在のこと、
そしてこれからのことをスポーツに対する想いも織り
交ぜながらお話ししていただきます。
小林信作さん 現在愛知太陽の家勤務
平成4年第28回全国身体障害者スポーツ大会(山形)に参加。県の大会には山形大会の2年くらい前から参加していたが、最近はご無沙汰、その真相は?
以前行われていた「障害者スキー教室」には毎回のように参加、小林さんにはスキー教室の魅力を中心に、ご自身が思うスポーツの話しを語っていただきます。
指定発言
岩月冨士雄さん
スポーツ指導者協議会常任理事
平成13年の第1回大会では水泳監督、昨年は水泳のチーフコーチとして全国障害者スポーツ大会に参加。
岩月さんには「指定発言」と言うかたちで特に第1回大会で出会ったある選手との、生活を通して見えてきたことを中心にお話ししていただきます。

コーディネーター  森長研治(協議会 顧問)

森長/ 先ほど簡単な打ち合わせをさせていただき、お母さん方には今思うこと、子どもさんに対して、子どもさんにとって楽しいスポーツ、将来どんなスポーツをやってもらいたい、どんなふうになってもらいたい、そんなお話し、現状はどうであれ、夢のようなことでもいい、夢を語っていただくなかで、私たちが何ができるのかと、そんなことを考える一つの機会にしたいと思っていることをお話ししました。

新井さんのお話

新井さん 私の長男(雅貴まさたか)は、この4月から、地元の中学校に入学しました。
小学校でも、地元の小学校に通いました。歩行器と車いすを使い、まわりの人達に助けてもらいながら、6年間楽しく通いました。
 今、こんなスポーツがやりたいとか、このスポーツを頑張っているということはありません。今日は、今まで学校での体育・運動にどう関わってきたかをお話しします。
 
 小学校・中学校では、体育の授業があります。体は不自由ですが、体育の授業は受けていました。それは、本人の意思でもありました。
 特殊学級に在籍しながら、通常学級の授業にも入ります、交流授業といいます。数教科受けるのですが、自分で希望した交流授業の中に、必ず体育の教科がありました。通常学級に入って授業を受けるのには、40人近い児童の中に入るのですから、担任の先生1人での対応は難しく、私が付き添って授業を受けてきました。
5年生頃までは、同じようにとはいきませんが、何とかみんなの中に入ってできる事があり、体も小さかったので、体を抱えてドッジボールやビーチバレー、歩行器でサッカー、マット運動など、をやりました。
1時間の体育の中で、少しでも参加する事で、楽しんでスポーツができたようです。
6年生の時は、社会福祉協議会主催の肢体不自由児・者ボランティア養成講座に参加された人に呼びかけ、学校でのサポートをお願いできるようになりました。体育の授業にも入ってもらい、サポートをしてもらいました。親以外の人との関わりで、子どもも精神的に成長できたと思います。

 運動会は、参加するより見ている時間がほとんどで、運動会を楽しんでいるとは思えませんでした。しかし、小学校最後の運動会は、雅貴にとっても、まわりにとっても、良い思いでが残る運動会になったと思います。 
 6年の時の雅貴の担当は綱引きでした。運動会の役割を決める時に、たまたま私も見ていました。先生方は、雅貴ともう一人S君(特殊学級在籍)は、出来そうな事がないのでやらなくて言いといってくれたのですが、綱引きに参加するチャンスだと思い、先生に相談しました。親も付き添うので、何かできることはないか考えてくださいと申し出ました。先生も考えて下さり、審判の係りをくれました。先生の合図で、勝ったほうの旗を上げる係りです。雅貴は白旗・S君は赤旗を持ち、勝ったほうの旗を上げました。何回か練習をして、ドキドキしながら本番をむかえました。綱引きの迫力をまじかで見られ、一緒に参加できた事がとてもよかったと思います。
そして、この年の徒競走は、先生が前もって体育の時間に歩行器を使って10メートルの速さを測り、運動会の時に走る距離と速さを計算して、設定してくれました。いつもは、最後になるのですが、このときは、3位に入りました。雅貴はとても喜んでいました。一緒に走った子は、雅君に負けた・・と、くやしがっていましたが。

 はじめから出来ないだろうとあきらめるのではなく、少し工夫すれば、少しサポートすれば、できることもあると思います。それでできた事が、本人の自信につながり、次へのステップに行けるのではないかと思います。学校に通っている間は、何らかの形で運動する機会がありますが、学校をでるとなくなります。障害をもった人が参加できるスポーツは、身近では聞きません。
 本人の気持ちを大切にしながら、気軽に運動に関われる場や、一緒に楽しめる仲間がいると本当にいいと思います。体が不自由でも、みんなと同じ事をするのが苦手でも、それでも一緒にやっていこうよと、いってくれる人が増えてほしいと思っています。

川合さんのお話

川合さん 私の息子(崚太)は8歳、養護学校に通っています。彼は知的障害を伴う自閉症,『ノン・バーバル』で言葉を持っておりませんが身体的には今のところ、いたって健康です。
 一般的に運動・スポーツといえるか分かりませんが彼が今、定期的に行っているのは、スクールバスの停留所までのウォーキング(徒歩通学)と週1回の水泳教室です。

毎日、バス停までの15分ほどの距離を歩いています。これは単に『運動』というよりは歩き方の練習も兼ねています。まずは手をつないで一緒に歩くということから始まりました。人を意識して歩くこと、これって以外に難しいんです。言葉を持っておりませんので会話で歩調をあわせることもできませんから・・・同じ歩調で歩くことを意識しはじめたら少しずつ手を離してという具合に・・・
水泳教室は障害者を対象にした水泳指導を半田市にある『ふれあいプール』というところで行っています。小さな頃から水の好きな子で、親子スイミングやスポーツクラブ等も通いましたが、周囲の理解がうまく得られず障害者オンリーの教室に行きついてしまいました。
彼が水泳を(水泳というよりは水遊びですが)始めたきっかけは、水がとても好きだったこと、それも流れ出る水に触れて遊ぶというよりも、足もつかないような深い水の中でおぼれて遊ぶことが好きだったことと、健康のため・・・・息子が自閉症児であることがわかった、2歳の頃から将来的な運動不足を懸念して始めたものでした。
 
 健常者は『スポーツ』や『運動』を一つの趣として行うことが出来ますが、息子のようなハンディキャップを持つ者にとってそれは、「生活の延長線上に存在する、上手に生きるための術のひとつ」であるように思います。もちろん障害者全員がそうであるわけではありません。スポーツや運動を本来の意味合いで楽しみ、競い合える人達も沢山います。が重い障害を抱えるものにとってそれは将来をしっかり見据えた上での取り組みが必要であることも忘れてはならないことだと考えます。
 
 少し前まで息子とともにあるスポーツクラブに通っていました。障害故に子どもだけでの入会が無理なので大人のスポーツクラブに入会してプールの利用権を得るという形を取らざるを得ませんでした。そこで親として出来る範囲で彼に、プールでの一応のルールを教えてきたつもりです。帽子の着用、プールサイドは走らない、飛び込みの禁止等々。同じスポーツクラブの同じ曜日の同じ時間、ほとんどが同じ顔ぶれで、彼の障害のことを少しずつ説明してより良い環境作りに努めてきて、ルールをしっかり教えてきた!これならプールを将来の余暇活動として使えるかも!?と思い始めた矢先・・・いつもの時間では見かけない女性がその日はそのコースを使用していました。悪い予感はあったものの、親子で費やしてきた時間の重さの自負が私の中にあったのも事実です。案の定、息子の水飛沫がウォーキングコースを歩くその女性の顔にかかりました。すれ違いざまその方は息子へ「ここはウォーキングコース!そんなはいり方なら別のところへ行きなさい。」注意というよりは罵声に近いその言葉が私に突き刺さりました。結局、他の会員の方に迷惑がかかるということでそのクラブを退会することになりました。障害者のはいれるプールを捜し求めてたどりついたのが、今のふれあいプールでの水泳教室です。

 昨年四月から支援費とういう制度が施行され障害者をとりまく世界が少し変わりました。息子も外へ出ることが増えました。親以外の人と・・・・当初7〜8歳の子どもが家族以外の大人と町を歩く姿は、とても奇妙にうつったようでした。「崚太くんが知らない人と駅のところを歩いていたけど大丈夫?モンタージュとれるくらい特徴覚えてるけど・・・」という問い合わせが何件もありました。そんなこんなでいまでは事業所さんにわかりやすいマークをつけていただき、このマークの人とりょうたが歩いているときは泣いていようがわめいていようが、大丈夫です。と答えています。
 
 障害者の運動は日常にあります。生活そのものの中にあると考えます。よき指導者やよき支援者の存在はとても大切です。そしてそれらは特別な存在ではなく身近な存在であってこそ意味をなすものだと思います。必要なのはよき理解者たちです。

森長/ じつはこの障害者スポーツ指導者協議会でもここ1,2年いろんな障害についての研修会、障害の特性ということの研修会をやって参りました。、競技会のときに途中で止まってしまう人とか、反対の方に走ってしまう人とか、歩いてというのに走っていく人とか、いろいろいて、その辺りは僕らも日常的に経験しながら、どうしたら分かってもらえるのかな?どう伝えたらいいのかな?伝わるのかな?という考えているわけです。そのあたりはのちほど会場のみなさんにいろいろ発言をしていただこうと思っています。


森長/ 私自身小林さんとは長いおつき合いになります。「鬼のコーチ」と言われているようですが・・・スキー教室、ご承知のように毎年行われているわけではなく、不定期で行われていました。信作さんには無理を言ってきていただいたこともあるし、自ら希望されて来ていただいたこともあります。信作さんスキー場にいるととてもいい顔をしています。スキーに来ても信作さんはあまりスキーをやらない、でも必ず参加して、楽しそうに帰って行かれる。信作さんがスキー教室に参加される理由を語っていただき、できれば信作さんスキーだけでなく今度は豊田(県大会)にもおいでよ・・・とそんなふうに思いながら今、拝見しています。

小林さんのお話

小林さん スキー教室の話しが出たのでその話しをしたいと思います。
 はじめたきっかけは(スキーは)簡単なものに違いないと過信したこと。実際にやってみたら、こんなにきついものかと・・・両足をそろえて登っていくのだが、板が重いので足があがらない。それを始めに教わったのが森長さんでした、そしてこれは訓練だと思ってやっていた。

でもスキーの後の飲み会が楽しくて、その席でみなさんとしゃべることができるのが楽しくて参加していました。

 県の大会ですが、初めて見に行ったきっかけというのは、寮で悪いことをしちゃって、その反省をするために「大会を見に行け」と言われたから行ったのがきっかけです。そして、その後「僕にもこれならできる!」とこれまた過信して(笑)、でも実際は競技は難しいものが多かったので大変でした。
 一応、山形で開かれた全国身体障害者スポーツ大会にも参加して、入賞もしました。

森長/ 10年以上前になりますか、信作さんとスキーに行ったのは。信作さんに「両足揃えればいいよ」と僕も簡単に言ったのだと思います。ある時、信作さんが僕にいいました。「簡単にいうけど、簡単にできたら別に困らないよ」って。おそらく、最初信作さんに出会ったときは、僕は簡単に言ったのだと思います「足揃えればいい」と。一緒にスキーをしていて、僕自身とても疲れてしまった、言っても言ってもできないし、一生懸命でやっているのに全然うまくならない・・・時間がたてばたつほど下手になっていく。考えてみれば疲れていくし当り前です。それで「信作さんもう止めよう、コーヒー飲みに行こう」って誘いました。今考えるとおかしな話しですが、言ってわかれば別に苦労はしません。そういうことなのです。


 
森長/ 岩月さんには(指導者協議会を)代表して「指定発言」ということで語っていただきます。会場のみなさんもそれぞれの活動を、いろいろな立場で、いろいろな形でされていると思う。それぞれの立場でもって後ほどご発言いただきたい。できれば私はこんなふうに思う、こんなことを心がけている、こんな事をしてみたい、それは単に障害のある方の支援と言うことだけではなくて、私たちの生き方として、こんなふうにしたいんだという発言をいただいて来週も二日続けて豊田で大会があるわけですが、話しが広がったり、実際に活動場面に活かしていくことができたらいいなと思っています。

岩月さんのお話

岩月さん 全国大会で会った選手T君との出会いについてお話しします。
愛知県選手団宿舎でのエピソード、大会の期間中携帯電話を使って架空の無線交信、会話の内容はコンピューター用語がたくさん・・・超人間的な感じ、私では理解できない高度な話しを見えない相手に毎日夜中にしていました。そのT君宿舎で用意される夕食、彼は摂らない、摂れないのだ、食べないとパワー出ないからどうしようと彼に諭す、『分かってる!』といきなりの返事、さてどうしよう、私は食べたいけど・・・・、よし外へ行って何でもいいから食べようと誘うと、『ラーメン!』鸚鵡返しの返事、それ急げ宿舎からタクシーとにかくラーメン屋へ。 T君早速食べたたべた、お変わりもしました。 そのラーメン屋、全く普通のお店です。
明日からの本番で緊張してる、身も心も。 うんうん分かるわかる。

全国大会、本番含めて5日間一緒に同宿するわけですが、彼との生活を通して考えてみると彼なりに大きなプレッシャーを持っていたと思います。『全国』という大会の出場が決まると、家族や彼をとりまく多くの人から励ましをいただくと同時に「がんばれ、がんばれ」という攻めにあったと想像します。
彼は励まされればされるほどいじけていく、彼を取り巻く多くの人たち、彼の使命感を複雑にしていませんでしょうか。 彼なりに精一杯練習していたと思いますが。
1回目の強化練習の時、T君泣いていました。「誰かおしえてくれー」と叫んでた、いきなり泣かれてなんでだろう???、これが最初の出会いでした。泣かれて困るのは監督の私なんです。私も大会は有意義に終わりたい。なんで泣いていていたかと考えてみると、やっぱり、『全国大会』とゆう未知の体験が不安を抱かせ、大きなプレッシャーだったと思います。その時私はどのように対応したかというと「俺(監督)が泣きたくないから、俺の言うこと聞いてくれ」と言ったのが最初のことばです。それが彼に通じたと思っています。大会当日になると、練習時間とか招集時間・本番とかあるわけです、それを朝、宿舎を出るときに彼に伝えます。「この時間とこの時間だよ」って、集まる場所も指示。彼はその時間以外は行方不明になるんです。私は片足が義足だから走れない、階段も一段々々の昇り降り、健脚な彼を追いかける事が出来ない。でも朝伝えた時間にはちゃんと帰ってきてくれました。心も通じたのかなと思いました。
余談になりますが、昨年も静岡の大会に行きました。その時同部屋の知的障害の2人の選手、全くタイプが違う、大会期間中初めてそれぞれに合った対応ができたと自負、第1回大会T君との出会ったことが凄く生かされました。 十人十色という言葉は知っていますが、実際に自分がその十色の対応ができるかというと、自信がありません。せいぜい限られた色が分かるくらいと思います。毎日見ている障害者なのにまだまだ知らないことがたくさんあるなぁと感じております。
前文と違うかもしれませんが、気をつけなくてはいけないのは、技術の押し付け、知識の押し付けです、人それぞれ置かれた立場、環境や状況等をうまく理解し、判断しこれからも指導員として活動できればと思っています。

森長/ 岩月さんの話の中で「気持ちが通じた」とありましたが、岩月さんは自身の気持ちを、ただの空気のような気持ちで伝えなかった。気持ちを形にして伝えたのだと思います。「昨日行ったラーメン屋さんに今日も行った」「朝スケジュールを分かるように伝えた」気持ちを形にして伝えた、このことがおそらく彼との関係をよくしたのだと思います。

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会場のみなさんから・・・

 私自身がスポーツというものは、個人的に陸上をやっていますので、どうしても「競技」ということになり、大会に出なくてはいけないとか、これくらいの記録を出さないとスポーツとしてはいかんとか、自分自身の考えの中にスポーツに対するそういった呪縛的というか、そういう思いがそれまではありました。
 障害者のスポーツに関わるようになってからだんだん、変わってきました。今日話して下さった方々もそうですが、生活に中の一部だなぁ・・と感じるようになってきました。プロとしてスポーツをやる方は別として、障害を持つ者、持たない者も毎日の生活の中で身体を動かして、楽しむ、自分自身を楽しませるということ、また小林さんがいわれたようにスポーツを通じて、人間同士の新しいつながりがうまれてくる。本来スポーツのもつ楽しさみたいなものが生まれてくることもすごいと思っています。今日お話を聞いてそういうことを再認識いたしました。

 小林さんとは山形大会また、スキー教室も何回か一緒に行きました。自分の思いと重ね合わせながら聞いていました。
 信作さんに昔の思い出をちょっと聞きたいです。山形大会の時は何枚か写真を撮っておられましたが、あの写真はどのように活用されたのでしょうか?それからスキーに行ったとき、去年は3M今年は10M滑ったと言われました。メートルだけ聞くとなんだそりゃ?となりますが、僕はものすごく衝撃を受けました。一緒にスキーをして仲良くなって、宿に帰りました。信作さんの障害のことを忘れてしまって、自分だけ上に上がって信作さんを1階においてきてしまった。そのあたり僕は失礼だった気もしますが、スキーをやっているときはスポーツ指導員とスキヤーという関係ですが生活の部分、短時間ですが一緒に飲み食いしているうちに(信作さんが障害者だということを)忘れてしまいました。
 そういう間柄になれた信作さんのもっている感性っていいなあって思っています。


仕事の中で障害者スポーツには関わりましたが、それまでは障害(者)については自分でもあまり意識しない世界でした。
まだまだ気づかないことがたくさんありますが、今日みなさんの話をうかがって大変勉強になりました。
これからも少しずつですが活動していきたいと思います。

障害者それぞれ、障害それぞれに合った、
合わせたスポーツはたくさんありますよ。
機会があったらやってみましょう。

 お話の中で、「学校の先生が予めタイムを測って・・・」というのがあった私はすばらしいなと思った。まさしく障害区分、その人自身の能力に合わせて、だから自分との競技というか、必ずしも人と競うのではない。そんな設定がうまく本人に合った形でできると、生活のリズムもそんなふうだと、楽しくなるのかなあと思ったりしました。




貴重なお話しありがとうございました
川合さん/ 崚太の母として、毎日わりと楽しく暮らしています。みなさんの眼に私がどう映ったのか分からないなぁ・・・とおもって今聞いているなかで、でも私は毎日結構楽しく過ごしているなあ・・・・と思い、またみなさんの話しを聞いていました。

新井さん/ 雅貴はとてもおとなしい子で、自分のほうからしゃべらないので、スキーに行ってその後みんなと一緒に楽しめるような、そういうことが将来的にできる人になってくれればいいなと思ってきいていました。

小林さん/ 山形大会の参加の時に、何が目的で行きますか?というアンケートがあり私は「彼女が欲しい」と書きました。写真100枚ツーショットで撮りました。そういう楽しみ方もあると思います。ここに来たのも女性が多くてメールや電話番号を教えてもらえるかな?という不謹慎な私です。スキーについてはそんなこともあったなあ・・と今想い出しました。みなさんと話しができるからスキーに行くんです。


森長/ 今日お話ししていただいた方々、年齢も違うしお立場も違う。考えてみたら誰もがみんな違う、それぞれの人たちが何でも自分一人でできるわけではない。僕ら、僕も含めていつも誰かに支えられて成り立っている。どこの部分でお手伝いしてもらっているか、そこが違うだけではないのでしょうか。
 スポーツということであればスポーツを通して、どの部分をお手伝いすればその活動に参加できるのか、そんなことを日頃僕らは考えているし、これからも心がけていきたいと思っている。障害ということに関して言えば、誰もが長生きしていけば間違いなく障害者になる。その時に「自分はこうしてもらいたいんだ」といことを一つの基準にしていくことが大事かなと、改めてそんなふうに感じています。
 今日はありがとうございました。なにかお子さんがスポーツに興味をもったら声をかけて下さい。なにができるか分からないけど、いろいろな人がいるので何かできるのではないかなと思っています。





雑・感草

☆スポーツの得意でない私の、スポーツの楽しみ。スポーツ会場そのものが家庭、職場とは違う広さ、環境があり、そこにいる自分を第三者的立場でみる。なかなか経験できないものである。また、本来スポーツの持っている終了後の達成感、さわやかさがスポーツを運営する立場でも十分楽しめることにあると思う。今後もスポーツをする人の支援者として活動できたらと思う。(浦野賢治)

★勉強することばかり、スポーツ指導員ではなく「スポーツを通じて教えていただく員」の気持ちを持つことを教えていただきました。(森田幸和)

☆障害者スポーツ支援を中心に考えがちでしたが、もっともっと大事なことは、障害者の心がかよう接し方の重要性を教わった。「大会運営」という表面的なボランティアだけに終わる事がないようにしていきたいですね。これから、陸上、その他の競技で1秒早くなった、1p伸びた、こんな進歩を一緒に喜びたい・・・こんなことが会場を通じてアナウンスできたら良い。(杉浦平作)

★共に楽しい生活ができるように、特殊な先生になりたいと思います。できるだけ早い時期に特殊が、特殊でなくなれば良いと思います。(青木葵)




研修会及び総会に参加されたひとびと  (敬称略)

牧野順子 加藤可津子 榎本恭子 片山将巳 早川美恵 能津闡子 石田憲治 野村由紀子
丹羽丈司 畠山 進 島 智市 森田幸和 国本 林 大沢 泰 川村貞章 野口真裕美
青木 葵 柘植順子 伊吹 勇 長谷川久美子 根岸保重 石川昇一 鈴木英仁 秋本真奈美
藤田紀昭 佐藤元夫 高井健二 青木靖一 杉浦平作 谷口政博 吉田正人 岩月冨士雄
古田 学 浦野賢治 森長研治 筒井恵二
研修委員 本田武英 佐藤元夫 小木曽早苗 鈴木雅盛 三品保典 榊原由起

                以上の報告は5月8日に行われた研修会内容を研修委員小木曽の記録を参照に榊原がホームページ用に改編したものです。
                                    内容の責任は愛知県障害者スポーツ指導者協議会、会長、顧問、研修委員長(榊原)に帰属します。


スポーツの語源
スポーツの語源はDISPORT(港から出ていく、離れる)。「デス」も「ポート」も離脱、移動、出発といった意味があり、港に係留されていた船が自由になる、港を離れて目的地へ自らの意思で向かっていくといったことを意味します。ここから「ディ」が消えてしまい「sport」(スポート)という言葉になりました。つまり,スポーツは、もともと自らの意思で行うものであり、「自由意思による身体を使った遊び」「気晴らしのゲーム」と言うことができます。従ってそれは「楽しいもの」であることが大前提、日常の束縛から離れて自由に自らの意志で「楽しむ」、「遊ぶ」という意味であるとされています。